今年、第二次世界大戦が終わり80年を迎えます。先の大戦では、日本人だけでも310万人(軍人・軍属230万人、一般市民80万人)という多くの命が失われました。また戦場となった地域を含め、全世界では5500万人から8000万人と推定される尊い命が失われたと伝えられています。
その甚大な悲劇と反省から、人類は二度と「戦争」を繰り返してはいけないと固く誓ったはずですが、戦後80年経過した今日も、世界のどこかで殺戮が繰り返されていることは誠に悲しいことです。
終戦から80年の日本。生まれた時から平和な日本で育った私たちにとって、平和を当たり前のこととして享受するのではなく、過去の多くの犠牲と反省の上にあることを忘れてはいけないのではないでしょうか。
そして同時に、そのような平和な時代に剣道が出来ることが、どれほど「有り難い(有ることが難しい)」ことかを、剣道という「道」を通して、私たちは子どもたちに伝えていく責務があるといえるのではないでしょうか。
勇翔舘の稽古や試合をそばで見させていただく中で気づかされることがあります。
それは、剣道は戦争のように相手を打ち負かす術を学ぶことではなく、竹刀を交える相手への敬意と感謝を学び、稽古を積み重ねた成果を試合で発揮し、最後は自己に打ち勝つ術を学ぶ「道」であると私はいただきます。
そこには、試合に勝っても負けても「有り難う」「素晴らしい」と、試合で向き合った相手への感謝と敬意の「心」を学ぶことともいえるでしょう。
80年前、剣道をしたくても出来ず戦地に赴いた若者、剣道の試合を夢見ながら空襲で亡くなった小学生や中学生・・・。そんな純粋に竹刀を握り、相手と向き合う事を願いながらもこの世を去らなければならなかった時代と世界が確かにありました。
今、この平和な時代にお互い試合で向き合える姿と縁があることが、どれほど素晴らしく有り難く、そして大切なことなのかを、竹刀のバトンを受け取った現代の剣士が引き継いでもらいたいと心から願う終戦80年です。
浄土真宗本願寺派
善行寺住職
勇翔舘館長 吉井 誠光