子供の頃、戦争の話が嫌いでした。
小学5.6年生、長崎に住んでいた頃は、学校などで良く耳にしました。(平和教育がしっかりと行われていました。記憶ですけど)
教室の本棚には「はだしのゲン」がありました。
原爆で焼け、苦しみ亡くなる人を見るのが怖くて、小学生の私は、ただの漫画本なのに怖くて近づけなかった記憶があります。
夜にバスで平和記念公園の前を通るとき、どこか亡霊のようなものが見えてしまうのではないかと怖くて、目をつぶってやり過ごしていました。
そんな私もオジサンになり、人生を折り返すと、「戦争の記憶を未来に引き継がなければ」「子供に教えなければ」なんて思ってくるんですよね。
子供からすれば、迷惑な話です。
自分が怖くて、嫌で、避けていた話をされても、決して楽しくないでしょう。
祖父は、満州に出兵していました。
でも、私が戦争の話を聞いたのは1回だけです
話したくなかったんでしょうね。
小学3〜4年生の頃、芋焼酎に酔った祖父(薩摩の人でした)が一度だけ、話してくれました。
祖父は、爆撃機の搭乗員で、機体の真ん中で機関銃を撃っていたみたいです。
左腕に銃弾を受け、肘が90度で固まり曲がらなくなっていましたが、そのおかげで、生きて日本に帰って来れたと言ってました。
空中戦で、撃墜させ墜落していく相手パイロットの顔が忘れられないと言ってました。
昭和の頃、戦争の話題はもっと身近でした。
戦争は絶対にやってはいけない
親が子に、教師が生徒に教えていかなければならないと強く思うのです。
8月6日稽古終わり、「今日は何の日かわかりますか??」と質問しました。
数人いる中で、知っている子供は1名のみでした。
「これはまずいぞと」と考え、このようにつぶやいているのです。
子供に戦争知識がないのは、教える立場となった私たちが、戦争の話題を嫌がり、又はタブーなものとして避けていたからだと思います。
戦争と平和の話題は、合理的、理性的に行われなければならず、決して、思想や外交を混ぜて良いものではありません。
避けず、偏らず、伝えていかなければならないと感じこのように筆を取っています。
剣道に関係ないことをツラツラと書いてしまいました。
戦後80年という区切りの年に、今一度、戦争と平和について考えた方が良いのではないかと考え、このような感じとなりました。
私ではうまくまとまらないので、次は館長である和尚さんに、お願いいたします。